大学を休学して半年後。
ずっと家に閉じこもっている僕を見兼ねた母親が、小豆島という離島に僕を連れていく事となる。
小豆島は香川県からフェリーで1時間の距離にある人口2万人の小さな島だ。
全てが無気力で人の目が怖かった僕は、そんな得体の知れない場所に行きたくなかったが、母親は絶対に『NO』という選択を許してくれなかった。
10年以上経った現在、その頃を回顧し母親のこの選択は非常に英断だったと思っている。
小豆島に連れてこられなければ僕は今もまだ実家のベットの上で将来についてグダグダ悩んでいたかもしれない。
僕は小豆島にある自給自足の生活を体験できる施設に強制送還されたのだった。
(TOKIOがやってるダッシュ村のような施設だと思ってください)
もともと海の家だった所を改装して作った宿舎は全くスマホの電波が届かなかった。
僕が泊まる部屋は、他の参加者さんも泊まる大部屋だった。
窓から見えるラムネのような水色をした海は最高に綺麗で、今でも目に焼き付いている。
最初は帰りたくて帰りたくてしょうがなかったが、日に日に帰りたいという気持ちは薄れていった。
自然の中にどっぷり身も心も浸かることができ、積もり積もったネガティブな感情を洗い流すことが出来た。
その施設のスタートは朝の掃除から始まる。
参加者さん全員で、じゃんけんをしてどの掃除場所を掃除したいか決めていく。
朝のじゃんけん大会はかなり盛り上がった。
やっぱりサクッと終わる掃除が楽なエリアをみんなやりたがるのだ。
今思い返すとそういう何気ない事1つ1つが楽しかった。
昼は畑に水撒きをしに行き、食べごろな野菜を収穫した。
イノシシや猿が近くの山にいるので食べごろな野菜はかじられていたり、収穫し忘れて大きくなりすぎた野菜も沢山あった。
1つ1つがキッチリし過ぎない緩い感じの運営方針だったのは凄く僕にはありがたかった。
15時くらいになると海に行き、食料を調達する。
モリで魚やタコを突いたり、岩場にいるサザエやムール貝、牡蠣をとったりした。
『今日はこんなけ収穫があった!』
とみんなに報告するのが僕の楽しみだった。
その施設には、
- 教師
- 医者
- 旅人
- 絵描き
- 書道家
- 経営者
- パン屋
- ミュージシャン
- 学生
- うつ病の人
- 建築家
など毎日のように全国から沢山の人がやってきた。
パン屋さんが来たらパンをみんなに振る舞ってくれたし、ミュージシャンがきたらライブをしてくれた。
学生さんの中には夏休みの宿題をする者もいたし、都会生活に疲れたサラリーマンはずっと海を眺めていた。
その場所ではすべてが自由だった。
参加者に上下関係は一切ないし、勉強で怒られることも一切ないので、僕のリハビリには最高の場所だった。
僕はいろんな参加者さんと交流し、仕事のやりがいや仕事の苦悩などを聞いて回り、自分の今後の方向性を探っていった。
10代の頃を思い返しても、楽しい思い出というのはあまりないのだが、この自給自足をしていた半年間は僕の中で最高に楽しい幸せなものだった。
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