自給自足の生活を終えて半年ぶりに実家に帰った僕は、昔とは比べ物にならないくらい希望に満ち溢れていた。
以前のように霊媒師に言われて将来の進む道を決めたのではなく、自分が心の底からやりたいと思った事やろうと決めたからだ。
絵を職業にする際、すぐに個人で活動できるほど甘い世界ではないので、初めは会社に所属しノウハウを学びながら働く事を決めた。
調べてみると、日本には大きな似顔絵の会社が3社あり、運が良い事にそのうちの1社が自宅から通える距離にあった。
しかもその会社には似顔絵の世界大会に出場した事のある凄腕の似顔絵師がゴロゴロいたので、向上心の強い僕には最高の環境だった。
一流になりたければ一流の人が集う環境に身を置くことが大切である。
昔読んだ自己啓発本の内容がスーッと頭をよぎった。
そして僕はすぐにその会社に電話をし2週間後に入社面接にこぎつける事が出来た。
面接を担当してくれた人は、僕が持参した作品集をペラペラめくりながら言った。
『あまり上手くないからうちでは雇えない。練習して上手くなってからまた来てください』
歯に衣を着せぬ物言いにショックを受けながら僕は面接会場を後にした。
しかし不思議と諦める選択肢は当時の僕の頭にはなかった。
上手くなったら雇ってくれるという事を面接官の口から引き出せたからだ。
1回面接で断られたくらいで諦めてたまるかと言う反骨精神のほうが強かった。
それから3ヶ月、死ぬ気で絵の練習をして腕を磨いた。
そして僕は2回目の面接を受けた。
今度こそは、、、という気持ちで臨んだ2回目の面接はまたしても不合格となる。
3ヶ月の頑張りは虚しくまだまだ絵がプロとしてやっていけるレベルに達していなかった。
指摘されたのはそれだけではなかった。
面接で見せたスケッチブックに消しゴムのカスが入っていたり、下書きをしっかり消せてなかったのでアーティストとしてのマインドが低いとまで言われてしまった。
流石の僕も、これにはかなりショックを受けた。
この3ヶ月の間、真剣に絵を描いて面接に臨んだつもりが作品だけでなく、マインド面についてもバッサリ切られてしまったから。
まともな人だったら2回も面接で落とされたら諦めると思うのだが、それでも僕は諦めきれなかった。
絶対にその会社に入ってプロの似顔絵師になりたかったのだ。
そこで似顔絵の腕を本格的に上げるべく、カルチャーセンターでやってる似顔絵教室を見つけて通った。
似顔絵教室に3ヶ月コツコツ通い、僕は面接3回目のチャレンジでようやく合格し、晴れてプロ似顔絵師としてデビューする事ができた。
小さい頃から絵を描いててこなかった素人が、1年以内にプロになれたのだった。
人生を切り開くのは行動力と熱量の2つだと、この頃僕は学んだ。
コメント